「鶴舞」について

鶴舞の歴史

千葉県市原市の中程にある鶴舞は小高い丘陵の上にあります。
史料から引用しますと、鶴舞は明治維新後の15代将軍の徳川慶喜が大政奉還し駿府移封に伴う動きの中で、遠州浜松藩が千葉県の上総に明治元年(1868年)転封されたことによって始まり、明治3年4月に6万石の鶴舞藩が誕生したと記されています。
それ以前の鶴舞の地は、桐木原と呼ばれ7軒ほどの家が散在していた場所であったようです。
鶴舞の名称については、地形が鶴が舞う姿に似ていたからとも言われています。
鶴舞藩主となった、井上10代 河内守正直公は、幕末に2度に渡り老中を勤め生麦事件の処理などにあたりました。明治3年には藩庁が完成し、藩知事以下藩士と家族3,000人がこの地に移り住んだようです。
正直公は意欲的に領内の統治に当たり、産業の振興・道路やトンネル工事などを進めました。
現在の鶴舞の町並みは、武家屋敷に見られるように、県道を挟んで南北供に区割りされています。
しかし、時代は廃藩置県の時代、明治4年(1871年7月)の廃藩置県では、菊間県、鶴牧県、鶴舞県が成立し、同年11月の府県統合で木更津県に、明治6年(1873年)に印旛県、新治県の一部と統合して千葉県となりました。鶴舞は市原郡南の中心となり、明治24年(1891年)八幡町に次いで、五井とともに町制となりました。
昭和38年5月(1963年)には、五井・市原・姉崎・市津・三和の5町が合併して市原市が誕生しました。さらに昭和42年10月には、南総町・加茂村が合併して、市原市は今日の姿になりました。